今度の今度こそ、今年ソメイヨシノの桜花を撮るのは最後じゃないだろうか。

きっと今年最後
今度の今度こそ、今年ソメイヨシノの桜花を撮るのは最後じゃないだろうか。

きっと今年最後
朝散歩2.5Km、曇り空で気温13度。
月曜日なので恒例の神社によるコース。手を合わせた後帰宅してそのまま出社。
週の初めなのでミーティング等が多い一日でそのまま終了。
週末の休日なのだけれども7時前に起きて散歩4.3Km。
曇り空なので昨日よりかは気温が下がって歩いているときは13度くらいだったので少し歩きやすかった。
散歩をしていると歩道に大きめの桜の枝が折れて落ちているのをみかける。昨夜風が強かったのも原因だとは思うのだけれどもこれが降ってくると思うと少し怖い。
お昼前までいくらか仕事の整理をしたりしてお昼になったのでパスタを作った。冷蔵庫の中に長ネギがあったのでそれを使って和風パスタを作った。長ネギ、少し大きめのものがあってそれを切り分けていたものがあったので使った。しめじとツナ缶も使ってめんつゆであらかた味付けして完成。シンプルだけどいい塩梅のものができた。
午前中に私用のため朝から外出して用事を済ませたあとに散歩。正午過ぎくらいから歩き始めたので気温が25度くらいまで上がった今日は少し歩くには暑かった。4.1Km散歩。初夏のような空だった。
毎年、あるお寺の前の桜の木がとても綺麗で見るのを楽しみにしていたのだけれども今年は通りかかるのが遅くなったのでほぼ葉桜になった桜をみることになった。これはこれで緑に花が映えてきれいなのだけれども。

残念ながら今年は見頃を逃してしまった桜の木
仕事終わりに居酒屋さんへ。
アジフライ、とても美味しかった。いや、注文したものすべておいしかったのだけど。あと手作りっぽいタルタルソースがとてもよい。

今日のアジフライ
朝散歩3.0Km、気温9℃で晴れてとても気持ちがよい朝だった。
まだかろうじて残るソメイヨシノの花を見ながら歩いた。

木の幹に頑張って咲いていた桜の花
非常に優しい味のワンタン麺をお昼ご飯で食べた。おいしかった。

優しい味
近年稀にみるスピードで600ページ超える小説を一気に読み終えた。
フィクションでありながら現実の地政学と産業構造を極めて生々しく描き出す、不思議な質感を持った一冊だった。読み進めるうちに感じるのは「物語を読んでいる」というよりも、むしろ現実世界の延長線上にある “あり得たかもしれない未来” を追体験している感覚。
アメリカと中国という大国の対立が単なる国家間の争いではなく、"半導体" という産業を軸にした「構造的な覇権争い」として描かれている点だった。これまで漠然とニュースで見聞きしていた事象がフィクションとはいえ本作を通じて具体的な力学として立ち上がってくる。国家の意思、企業の戦略、個人の思惑が複雑に絡み合いどこにも単純な善悪では割り切れない現実があることを強く感じさせられた。
中でもFSC1が企業して存在する意味は単なる一企業の枠を超える形で描かれていて、それは台湾にとってそれは経済的な中核であると同時に国家の安全保障や存在意義そのものに直結する存在として描かれている。最先端工場を台湾に留めるという意思決定もビジネス合理性だけでは説明できない「国家としての戦略」であり、この視点はこれまで自分の中にはなかったものだった。また、日本の半導体産業の現状や人材・教育の問題に触れた描写も非常に現実的で、ある種の危機感を伴って迫ってくる。理想やスローガンだけでは何も変わらず構造的な遅れがそのまま競争力の差として現れている様子はフィクションでありながら妙にリアリティがあった。
一方で小説中において鷲津政彦の語る経営観や組織論も、この大きなテーマの中に自然に織り込まれている。創業者の精神を継承しつつも、それに安住せず "破壊と創造" を繰り返す必要があるという指摘や組織における権力構造の不可避な歪みなどは、どこか普遍的なものを感じた。
全体を通してフィクションであり小説でもある本作は単なるエンターテインメントではなく現実世界を理解するための“補助線”を与えてくれる作品だった。むしろ現実の解像度を上げてくる。読み終えた後、世界の見え方が少し変わる、そんな読書体験だった。
朝散歩2.5Km、月曜日なので神社を巡るコース。
空は晴れて気温15℃。段々朝を歩くと汗ばむようになってきた。
真山仁氏の小説「ハゲタカ」の新刊が8年ぶりに出ていたので購入。すぐ読み始めたのだけれどすごく面白い。あっという間に読み終わりそう。
「アメリカ人禅僧、日本社会の構造に分け入る 13人との対話」読了。
以下、マークアップした部分を中心に読後メモ。
長く日本に暮らし、日本に強い愛着を持ちながらも「日本人ではない」立場に置かれ続けてきた著者だからこそ日本人同士では見過ごされがちな前提や暗黙の了解に対して、率直で鋭い問いの積み重ねによって日本社会の輪郭が少しずつ立体的に浮かび上がってくる構成が印象的だった。
特に終盤の「個」という概念に関する議論も興味深く、西洋的な意味での個人は "神との関係" のなかで成立する絶対的な存在として捉えられるのに対し日本における「私」は "他者との関係性" のなかで立ち上がる相対的な存在として理解される。この違いは責任の取り方や意思決定のあり方、さらには社会全体の構造にも大きな影響を与えていると思った。日本社会の曖昧さや協調性の背景には、このような「個」の捉え方の違いがあるのだと考えると多くの現象が一本の線でつながって見えてくる。
本書は日本社会の「強さ」と「弱さ」を切り分けるのではなく、それらが同時に存在し互いに影響し合っている構造を明らかにしていく内容だった。だからこそ単純な批判でも礼賛でもなく、「何を残し、何を変えるべきか」という問いが自然と読者に委ねられる。外からの視点によって照らし出された日本の姿は、ときに耳の痛いものではあるが、それゆえにこそ自分たちの立っている場所を見つめ直すための有効な鏡になっていると感じた。
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