雑談

9月のカレンダー

壁紙に設定中。iPhoneを見るたびに癒やされてる。

徒然日記

社内ISUCONが開催されていて観覧者用のUIからスコアが上下する様子を見ていたりした。直近開発に打ち込んでいるところもないので参加はしなかったのだけど、逆に観覧者として見ているとエンジニア以外の職種の人にこの様子を伝えてみると面白いかもなと少し思っていた。

そうすることで日頃エンジニアが機能の開発・サービスの開発以外のところのどの部分が気になっていて改善しようとする時間を取りたいと感じているのかというのが少しでも共有できるのではないかと思ったり。まだ具体的にどういったみせかたをするのが、わかりやすいのかといったところが浮かばないが。

昼食に同部署のデザイナーと外に出て何故かARMの話で盛り上がった。

関東地方、台風の影響無かったが北海道・東北方面が心配。

うまくいかないことが続いた時の一対処法

先日会社で

うまくいかないことが続いた時ってどうされてるんですか?

と質問を受けたので少し考えてみた。もっともこれといって回答を持っていたわけでもなかったのでその場で回答したこととしては、

  • ひたすら考える
  • ただ考え過ぎると単一のことしか考えられなくなったり精神衛生上もよくないのでときどき休む

というなんとも曖昧な答えを返してしまって非常に先輩としていけてない感じだったので、改めてあれこれ考えてみた。

自分はこうしてるかもしれないという一案としては、

入力を増やす

かもしれないなという結論になった。

例えば読む本を増やす。見るデータを増やす。もっと経験を踏まれている方に考えを聞く。

ただ、単に入力を増やすだけだと膨らむ一方なので更にそこから考えて出力する。出力するとは試しに何かプログラム書いてみる。大きさ問わずサービスを担当しているのであれば施策を実行してみる。その結果を入力としてフィードバックすれば更に入力を増やすことができる。それでも解決しないならもっと入力を増やす。

確実にこれで全ての問題が解決する訳ではないけど、そうしたループを自ら起こすために「入力を増やす」というのは一つの手段としてはありなのかなと思う今日このごろ。

徒然日記

今日でいま勤務しているペパボで丸5年が経過して6年目に突入であった。早いような短いような不思議な感覚を覚える。少しは成長しているかなと数年ずっと自分自身に問い続けながら生活している気がする。

セブンイレブンの日だからということではないが、セブンイレブンの親子丼を食べる。値段の割に美味しい気がするのだが自分だけだろうか。

手前味噌な紹介になってしまうけど、麸のからあげとても美味しそう。

pickup.calamel.jp

徒然日記

午前中はラジオを聴きながら*1雑誌や本を読んだりゆったり過ごす。

宣伝会議って今まで自分の業務だとかに無関係の雑誌だろうと思っていたら意外と得るところが多いのではないかと思えてきたのでときどき読んでみよう。物事を考える時の数字を得る資料という意味合いでも充実している気がした。

午後から頭の体操にFIFOの作り方思い出してみる。型をしっかり定めて書いてみたかったのでgoを入れてちょっとしたサンプルを書いてみた。入れると気何を使うのが鉄板なのかわからないのでgobrewを使ってみた。何で導入するのが一般的なんだろうか。

github.com

書いてみたのはここに簡単にまとめた。大した内容でなくても、たまにはこうやってちょっとしたコードでも書くようにしていこう。

*1:というか、日曜日の午前中なので安住紳一郎の日曜天国の一択である

徒然日記

お昼は焼肉ランチを同じチームの人たちと行った。
味噌だれタン+カルビの定食で非常に満足。

何故か水曜どうでしょうの話になっておすすめを聞かれたがド鉄板レベルの推薦だと「ヨーロッパ21ヵ国完全制覇」ではないだろうか。あとはサイコロシリーズ。特に「サイコロ5~キングオブ深夜バス~」。

毎週TokyoMXで日曜日の夜に放映されている再放送を観るのが月曜日からの新しい週を迎える活力にここ4年ぐらいなっている。長い。
そして同じシリーズが放映されることがあっても笑ってられるのってある意味幸せな性格だなと思う。

最近何やってるの?とよく聞かれるので。

ゴールデンウイークを挟んだり、新年度を迎えたりして、以前仕事を一緒にしていた方や学生時代の友人と久しぶりに話す機会が複数回あったのでこちらでも書いてみます。

自分は新卒以来エンジニアとして形は違えどLSI設計やWindowsアプリの開発、Webアプリの開発と様々な開発に携わってきたのですが、最近はまた畑を変えてメディアに携わってます。

「ああ、アプリとか用のAPIとか開発してるんですか?」と聞かれることもあるのですがそれも無く管理職として携わっています。

また、管理職というと「じゃ、エンジニアの方の管理ですか?」と次に聞かれるのですがそれも無く主にメディアを一緒に作ってくれているとっても素敵なディレクター、ライター、デザイナーの方々と一緒に仕事をしています。

メディアの名前は「よむよむカラメル」といいます。

pickup.calamel.jp

よむよむカラメルではカラーミーショップで構築されたネットショップを運用されている店長さんのストーリーやそこで扱われている商品を紹介させていただくコンテンツが中心ですが基本日々の生活がネットショップを媒介にして少しでも楽しくなったすることができればと思いつつ毎日記事を更新しています。

ネットショップを通じた購入に至るまでの体験でワクワクするときはどんなときかと考えると、

  • 自分が知らなかったアイテムを知ることができたとき
  • 自分が探していたアイテムと出会えたとき
  • 実際にモノが届いたとき

という、3つの「とき」だと思いますので単に商品を紹介するだけにとどまらず、ネットショップを運営されている店長さんのインタビューや実際に編集部の人が使ってみたり開けてみたりした瞬間もいろいろな形で届けられないかいろいろ試してみている最中です。

時には動画で表現できないかと試したりもします。


規模としてはまだまだですが、運用して知れた新しい発見は、いままで知らなかったネットショップや商品と巡りあったことで喜んでおられる読者の方の声がtwitterなどを通じて聞こえた時に、自らがエンジニアとして携わったサービスに寄せられるユーザの声を聞いた時とはまた一味異なる喜びを得ることができるんだなぁ。ということが1つあります。

その喜びはきっとネットショップの店長さんや、実際に商品を購入された方の喜びにもなっていると信じています。

まずは商品を知ってもらえる場を作ること。知ってもらって少しでも生活が楽しくなること。そこまで大げさではなくても通勤電車の中で"よむよむカラメル"を読んでもらって、「あ、こんな商品売ってるネットショップ知りたかったんだ。ラッキー!」と思ってもらえる人を一人でも多くすること。目下それがやるべきことと思いながら毎日試行錯誤しています。

コンスタントに記事は更新していますのでtwitter等を通じて記事を読んでもらえると嬉しいです。

twitter.com

徒然日記

ゴールデンウイークの狭間の平日でしたが普通に勤務日。電車が空いてて通勤が楽。

定時後は呑み会が開催されたので参加も喉をここ1週間ぐらい壊していてほぼ完治してるのですが薬を飲んでいるのでノンアルコールで参加。アサヒドライゼロを呑みながらいろいろな人の話を聞けてとても楽しかった。病み上がりということで早めに離脱。

わいわいやっている最中にREMPを使ってみましたと教えてくれた人もいてとても嬉しかった。

www.remp.jp

帰りの電車の中で以下のブログエントリが勉強会で紹介されたと聞いて何かしらアウトプットしておくもんだなと思った次第。3年前の記事だけど...。

hideack.hatenablog.com

自己認識と他者配慮

自分が思い描く像と他人が描く像。大抵大きく違う。そのことが稀にコミュニケーションの障害になることもあるような気がしている。

わかりやすい例だと、たとえば会社で「年齢10歳以上離れてるし...」「あの人はベテラン社員だから...」などといった理由で何かしらの見えない壁ができてしまうことであったり、話しかけづらい空気感になってしまうことも多い。

というのも、他人が自分自身を見た時にまずはその人のポジションだったり年齢といったわかりやすいものを意識するのは当然であったりするし、そういったところから入るのが正直多くの割合があったりするのではないかと思う。

自己認識を進めることでそういった部分を多少解決できるのではないかとおもう。

  • いま自分が与えられたポジション(職務、役職)はそもそも何を求められてなっているのか
  • 他人の立場になったときに今の自分を見た時、どの様に見えているだろうか

自分自身の認識を進めることで結果、自分以外の人の配慮にも繋がることもある。話しやすい空気感、場の空気、そして自分以外の人への影響。それが結果としてよいコミュニケーションに繋がるのではないかと思う。

と、こういったことを書いていてしばらく下書きで放置していた。

というのも他者から見える自分というのは人の数だけ異なるわけで一方一人の人間は唯一であるから、"自己認識" というキーワードを考えた時に、それでは唯一の自己を取り巻く家族、職場の人、友達 etc... で見え方は皆異なるわけでここをどの様に解釈するのがよいだろうかと考えていた。

そこで昨日読んだ 私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) を読んだときに自己は唯一であると考えずに逆に複数の "分人" で構成されると考え、

一人の人間には、色々な顔がある。つまり、複数の分人を抱えている。そのすべてが〈本当の自分〉であり、人間の個性とは、その複数の分人の構成比率のことである。

という記述があり、この考え方で大分合点が通ったところがある。自己認識=自分が持つ分人それぞれに対する理解。と考えればよいのではないかと。

自分を構成する分人をそれぞれ理解する(=自己認識)を進めることで、その分人と接する相手*1に対する配慮(=よりよいコミュニケーション)が図れる様になる気がした。

このあたりの考え方がもっと詰められると良さそうな気がしているのでもっと詰めてみたい。

*1:これもまたその人を構成する複数の分人のうちの1つになるわけであるが

「?」を感じた発言の対応に関する一考察

普段生活をしていると自分が「?」と感じる発言を見聞きすることがあります。

例えばtwitterのタイムラインを眺めている時、テレビの中でのニュースキャスターや有名人の発言を聞いた時などなど以前に増してSNSを介しての情報が加わったことでその機会は以前より大分増えていて、「なんでTVに出る様な人がこんなこと言うんだろう」「政治家がこんなツイートしたらダメだろう」などと生活をしていると自分の心のなかに大なり小なりのクエッションマークが浮かぶシーンはいくつかあるかと思います。

そして、そういった発言に自分の心が乱れるなと思うことがあったので、ある日から自分は以下の順番で考える様にすることにしました。

  1. 1000人の人を思い浮かべる
  2. 仮に1000人のうち、その発言をした人と同じことを言う人はどのくらいいるだろう
  3. 2.で考えた割合の人がその様な発言をするのは何故だろう

要はその様な発言が行われた背景には必ず理由があるわけで、その原因を考えようとしている訳ですが発言を行った個人に対してその原因を考えようとすると個人的な感情が入ってしまうので一度大勢の人を思い浮かべて個人的感情を希釈化します。

その上で全体の中での割合だったり、何故その割合の人が自分は「?」と感じてしまう発言をされているのだろうかと考えます。

そうすることで自分の考え方をぶらさずにできたり、逆に改めるきっかけにもなります。

1000人の内、50人くらいしか同じこと言わなそうだなと思ったことに?を感じたのなら、何故50人の人はその発言をしようと思ったのかと考え、逆に950人が言いそうなことに自分が?を感じたのなら、自分は何故その様に思ってしまったのかを考えたります。

考えるといっても、ふと少し考える程度です。

「?」と感じた発言に対して感情的になってストレスを溜めるよりも、上の様に考えていることで新しい発見があれば自分にとってもプラスですし、考えているうちに「ま、いっか」と思えることも多々あってそれはそれでメリットです。