日本コンピュータの黎明 富士通・池田敏雄の生と死


・・・ってな本を読み直し中。著者は田原総一朗
ホントウに最初の頃のコンピュータを富士通で設計、開発した池田敏雄。
0号機と呼ばれる富士通最初のコンピュータを設計していたときのエピソードで

・・・机の上にも、池田の周りの畳の上にも、部屋中、足の踏み場のないほど、ノートをちぎった紙が散らばっていた。というより部屋が紙で埋め尽くされていた、といってもよかった。そのすべてに同じように演算回路の図と数字が書き込まれてあった。
(中略)
このときの池田の作業について、山本は「とにかく、その後に諸外国で発表された演算回路のほとんどを、池田さんは一人で全部考え出した。・・・」
(第6章 0号機誕生 より)

最初の演算回路の設計から、集中していくと次から次へと発想が出てこうなっちゃったんでしょうけど。
文字通り「才能あふれる」を地で行ったエピソードだなぁ。と。
あたしゃ、決まりきった設計するだけでもダメダメなのに。。。って比べるのが間違ってるか(笑)